坂本龍馬 国難に立ち向った志士の気概(5)
志士が立ち上った原動力
なぜなら、 この尊皇心、 天皇を深く思う心、 これこそ維新を成就せしめた根本だからです。 龍馬だけではありません。 ご存じの方は少ないと思いますが、 真木保臣という立派な志士がいます。 「今楠公」 とまで言われた久留米の神職で、 禁門の変で久坂玄瑞らとともに亡くなりました。 真本は十項目を挙げて日本と欧米を比較し、 もし戦 った場合、 日本は到底彼らにかなわないと言っています。 まず将帥。 将帥を比べたら向こうの方がよほど優れている。 兵隊も同じ。 彼らはいつも戦争して鍛えられているからです。 大砲も軍艦も向こうが上。 戦法もそう。 人材育成、 登用も彼らが上。 国家指導者も幕府の老中よりも彼らが断然優れている。 政治のやり方も同様。 それから、 宗教も彼らはキリスト教で国内を統一している。 日本は仏教があるけれども、 さっぱり役に立っていない。 十項目ずらっと挙げて、 冷静に比較検討して、 日本は勝算が一つもないと言うのです。 これではまさに日本は滅亡するしかないという深い危機感を表明します。 しかし、 たった一つだけ彼らにはない優れたもの、 十の不利を補って欧米に打ち勝つことができるものがあると真木は言います。
その一つと申すもの何ぞと申すに、 恐れながら至尊 (孝明天皇) の聡明、 叡智、 英烈 (きわめてすぐれていること)、 勇武に在らせられ候御事に御座候。 方今 (現在)、 気脈衰弱、 世運陵夷 (もう日本の国はがたがたになり、 国民の精神も衰弱している)、 人心罷弊 (疲れ弱ること) の中に至り候て、 かくのごとき明天子 (すぐれた天皇) 世に出現あそばせられ候事、 いかがの訳に御座あるべくや。 天照大神、 神武天皇はもちろん天地神明、 いまだ神州を捨て給わずいま一度いにしえの隆盛に返さんとの御事に御座あるべく、 誠に有り難き御事に御座候。
この思いです。 日本の救いはただ一つ、 皇室の御存在であると。 当時の志士は、 孝明天皇の国家国民を深く思われる御心を知っていました。 国家が衰退し人心が弱まった今、 かくも優れた天皇がいらっしゃることは誠に有難きことである。 そもそも日本は万世一系の天皇を戴く誇るべき立派な国である。 この立派な国体を有する日本が、 不正非道の威嚇をもって日本を屈服せしめようとする欧米に唯々諾々と従ってよいのかと。 志士たちはこの日本の国体に対る絶対的な確信があればこそ欧米列強に抵抗する力、 立ち上がる力が出てきたのです。 では、 龍馬たち志士が 「今上様の御心を安めたてまつらん」 とした孝明天皇とは、 どのようなお方だったのでしょうか。
あさふゆに民安かれと思ふ身のこころにかかる異国の船
御歴代の天皇は 「国安かれ、 民安かれ」 の祭祀をなさっています。 国家の安泰と国民の幸せ、 安寧を三百六十五日、 一日も欠かすことなく祈り続けられているのです。 この皇祖、 神々に対する祭祀こそ天皇、 皇室の最も大切なおつとめ、 責務であります。 この御製 (天皇の詠まれるお歌) は、 そうやって祈り続けられている孝明天皇が、日本に差し迫った外国の脅威を深く憂慮されているお歌です。
澄ましえぬ水にわが身は沈むとも濁しはせじなよろづ国民
これは、 孝明天皇が未曾有の国難を憂えられ、 自分の命を投げ出しても、 国民を救いたい、 助けたい、 と願っていらつしやる御製です。
戈とりて守れ宮人九重のみはしのさくら風そよぐなり
「宮人」とは天皇に仕える人、 つまり日本国民のことで、 「九重」 とは皇居のことを指します。 心ある日本人よ、 風前の灯のような日本を守るため立ち上がって下さいという御製です。 孝明天皇は誰よりも日本の国の危機を憂えられている。 無私の心をもって国安かれ、 民安かれの祈りをなされている。 その孝明天皇の御心が日伝えで伝わっていく。 それを聞いて、 志士たちは感泣、 感奮して、 次々に立ち上がって行ったのです。 その結果が明治維新で 、 まさに奇蹟の歴史です。 国力、 経済力、 軍事力、 科学技術、 どれをとってみても比較の段ではなく、 絶対に彼らに勝てない。 有色人種はみな欧米の植民地、 属国にされるのが世界史の必然的流れとされた時代です。 そうならなかった唯一の理由は、 この皇室の御存在であり、 この皇室を仰ぐ志士たちの熱い思いでした。
龍馬と西郷
さてその後、 龍馬はどうなるかというと、 勝海舟のつくった神戸の海軍操練所が閉鎖になってしまい、 龍馬たちは行くところがなくなって、海舟の口利きで薩摩藩に頼ることになります。 そこで長崎に行き、 亀山社中が作られる。後にそれが海 援隊になるということで、薩摩と行動をともにするようになります。
神戸の海軍操練所が閉鎖になるちょっと前、 勝海舟は親愛する龍馬を何とか世に出してやりたいと思い、 今、 薩長側の最大人物は西郷隆盛だから、 その西郷に会わ せてやろうというので、 龍馬は西郷に会いに行きました。 帰ってきて 「どうだった」 とたずねたら、 よく知られる言葉を言いました。 「西郷は釣り鐘のやうな男で、 小さくたたけば小さく響き、 大きくたたけば大きく響く。 もし馬鹿なら大きな馬鹿で、 利口なら大きな利口です」 と答えたら、 「そう評される西郷も人物、 評する坂本もまた人物、 西郷も坂本も大した人間だ」 と勝海舟が褒めたという有名な話です。 ここより西郷との深い人間関係が生まれ、 西郷も龍馬の人物を深く認めます。
龍馬がそのころ真剣に考えたのは、 幕府を倒すためにいま何が一番必要かということでした。 朝廷を仰いで日本を立て直すために何より大事なことは、 尊皇倒幕運動の双璧である薩摩と長州を結びつけなければいけない。 同盟させなければならないということです。 薩摩と長州はいろいろな理由で喧嘩をし憎しみ合っていました。 そうしている限りは明治維新は絶対成就しない。 尊皇攘夷の精神を持つ最有力のこの両藩を結合させなければならないということを強く思うようになります。 そこで、 薩摩に行き、 西郷といろいろ話し合ってますますその気持ちを強くしました。 また誰より西郷自身が薩長同盟の必要を痛感しておりました。 西郷は龍馬を親愛し、 龍馬もまた西郷を敬愛しました。 師匠の勝を別として龍馬が最も尊敬した人物は西郷です。
これは鹿児島での逸話です。 西郷の家に泊めてもらいました。 そのとき龍馬は下着がなくて、 西郷の奥さんに 「西郷さんの一番古いふんどしを下さい」 と頼みました。 そうしますと奥さんは言われた通り、 西郷の古ふんどし、 もちろん洗濯したのをあげました。 帰ってきて 「龍馬さんがそう言いますから、 お古をさしあげました」 と言ったら 、 西郷はあのでかい目玉をさらに大きくして 「お国のために命を捨てようという人だと知らないのか。 早速新しいのにかえてあげろ」 と。 結婚してあんなに叱られたのは初めてだと、 奥さんが後年回想しています。 お互いに信じ合う肝胆相照らす龍馬に対して奥さんが失礼なことをしたものですから、 西郷がこうして怒 った。 そういう人間関係の中で、 龍馬は薩長同盟の仕事に全力を挙げます。