小堀桂一郎氏は、敗戦とそれに続く米軍占領下に受けた屈辱と委縮からの脱却は出来たのかと問われています。
経済的にも、文化的にも、スポーツ界においても日本は大きな飛躍を遂げた。また、自衛隊は世界有数の戦力を持つに至った。
しかしながら、日本の護国の戦士たちの霊廟である靖国神社への「公」の視線が冷淡すぎるのではないか。天皇陛下、首相をはじめとする国政の担当者の参拝を、報道機関が当然のことと肯定する状況となる事が戦後80年を期しての標識となるのだ。(要約です)
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〝本年は昭和100年にして且(か)つ戦後80年なる節目の年だとの認識が昨年から広く人々の口の端に上つてゐた。(中略)後者は国民に向けての或(あ)る重大な問ひかけを含んだ数字である。それは改めて言ふ迄(まで)もなく、敗戦とそれに続く6年8箇月の米軍占領下に受けた屈辱と萎縮からの脱却といふ国民的目標は達成できたのか、との厳しい設問である。”
〝戦後80年を期して、日本が現世界の自由主義諸国と同様の普通の国に立ち戻る事業を成し遂げるか否か。その成否を判定する標識は幾つかあるが、自主憲法の制定、交戦権を有する国軍の保持といふ緊急の要請と並んで重要な標識が一つある。即ち靖国神社への天皇及び首相をはじめとする国政の担当者達の折にふれての参拝と、報道機関がそれを当然の事として肯定する事態の実現である。”