月刊誌「明日への選択」のご紹介

 「明日への選択」は、安倍元総理が懇意にされていたシンクタンク『日本政策研究センター』の発行する月刊誌で、日本にとって重要な論文が多数掲載されています。

 

 岡田邦宏所長の承認をいただき、日本政策研究センターのホームページ掲載の最近の小論文をサンプルとして掲載しています。 

 

 センターのホームページには過去の小論文が多数掲載されていますので、是非、ご一読ください。トップページの「オピニオン一覧」が分類されていて解り易いです。

 

※日本政策研究センターは、「明日への選択」購読会員を求めていますので、関心のある方はぜひ会員申し込みをお願いします。(ページ下段の「入会のご案内」をご確認ください。)

 

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自民党総裁選各候補者の政見を読んで

 

 本稿執筆の現在、注目の自民党総裁選はまだ終盤にあり、残念ながらその結果を見て書くことはできない。従って、本稿ではこれまで筆者がこの総裁選の中で、とりわけ感じたことを書かせていただく。

 まず筆者にとり、最も関心があったのは、各候補者がこの日本の現状をどう捉えているか、ということであった。しかし、この関心に応えてくれた候補者は少なかった。個々の政策については、各候補者が掲げたものにはそれなりに興味を抱かせるものもあったが、一方その出発点となる現下日本への基本認識となると、どっしりとした「骨太なもの」を感じさせてくれるものが少なかったのである。

 安倍元総理はその『回顧録』において、最初に総理となった時、自分は官房副長官と長官を合計四年務め、総理の何たるかはわかったつもりでいたが、「総理大臣となって見る景色」は、そうしたものとは、「まったく別だった」と述べている。それは総理にしか感じられない決断の「重さ」といったものでもあろうが、とすれば総理には、かかる決断の基となる単なる政策以前の認識や覚悟が求められるという話でもあろう。

 例えば、世界の現状に対する認識だ。これほど複雑で困難な問題に直面することとなった時代は戦後かつてなかったといってよいが、その危機感を感じさせてくれる候補者が、高市氏の他、ほとんどなかったのである。例えば中国の脅威だ。台湾有事の「二〇二七年説」がいよいよ現実味を帯びるが、これをどう考えるか。三年の総裁任期を考えれば、新総裁がこれに直面する可能性は極めて高い。となれば、全政策の冒頭に、これに対する総理をめざす者としての独自の認識や覚悟が示されて当然と思うのだ。

 マスコミの事前予測では相変わらず石破氏の人気が高いが、氏は今回「アジア版NATO構想」なるものを打ち出した。しかし、その実現可能性や構成国を問われた際、氏は何と「これから議論を詰めたい」と答えたのである。防衛の専門家を自称しつつ、実はこれについて何も具体的なことは考えてこなかった、という話だったのだ。

 日本の現状に対する危機感ということでいえば、今年は日本人の出生数が七十万を割ることが確実視される。しかし、この少子化の現状に対する各候補の認識にも物足りなさを感じた。確かにどの候補もそれなりの危機感を語ってはいた。とはいえ、そこには「何としても自分がこの問題に答えを出す」という決意は感じられなかったからだ。今日の現状は、その程度の認識や決意では、もはや何ともならないギリギリの危機に立ち至っているにもかかわらず、だ。

 一方、小泉氏は夫婦別姓問題に対し、「長年議論ばかりで、答えを出していない課題に決着をつけたい」と述べ、「一年以内の法案提出」をも明言した。しかし、それによる社会的影響をどの程度考えているか、それが見えなかった。夫婦別姓となれば、子供には親子別姓・家族別姓が強いられる。親には選択権があっても、子供にはそれはない。この不合理を、氏は家族のあり方としてどう考えるか。

 と同時に、候補者たちの認識に、日本の「伝統の力」に言及したものが全くなかったことも問題だった。安倍元総理はまず「戦後レジームからの脱却」をいい、また「日本を取り戻す」といった。しかし、各候補が語ったのは、あくまでも無機的で、ニュートラルな、いわば精神なき改革論に過ぎなかった。しかし、このようなもので、果たして難題解決の「国民の力」が出てくるのだろうか。この点、高市氏は「祖国を守ってこられた方々への感謝」を明言していたが、これこそが国家の指導者に求められる認識であり、姿勢ではなかろうか。

 結果は今後の日本を決める。良き結果を祈りたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

〈『明日への選択』令和6年10月号〉


自衛隊の靖国参拝を批判する左翼マスコミの思惑

 

 七十九回目の「終戦の日」を迎えた八月十五日、靖国神社には多くの人々が参拝した。靖国神社は本来英霊を慰霊顕彰する静謐であるべき聖域だが、今年の靖国を巡る空気には何か騒然としたものを感じた。

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 理由の一つは五月から八月まで中国人による神社参道入り口の石柱への落書きなど冒涜行為が続いたこと。こうした「反日」の背景については今月号の石平氏のインタビューをご覧頂きたいが、もう一つは、朝日新聞など左翼紙が自衛隊と靖国神社との関係を問題視し、慰霊の聖域に似つかわしくない空気が醸し出されたと言えよう。

 彼らは、一月の陸上自衛隊現役幹部の参拝、五月には海自練習艦隊の実習幹部による「遊就館」の見学、靖国神社の宮司に自衛隊元海将が就任、八月十五日には木原防衛大臣の参拝……といった自衛隊と靖国神社との「密接な関わり」が問題だというのだ。

 なぜ自衛隊が靖国神社と関わってはいけないと言うのか。「(大戦)当時の政府と軍は兵士の命を軽く扱い、一般国民を巻き込み、見捨てた。他の国や地域のあまたの人の命と尊厳を踏みにじった。……その戦争を正当化し、犠牲を納得させる役割を靖国は担った」。

 だから「靖国にまつられている肉親の霊を慰めたい遺族の心情は理解できる」が、「自衛隊や公職者の関与は別次元の問題と考える必要がある。憲法が定める政教分離原則に抵触し、戦前・戦中からの決別を疑わせるふるまいは、厳に慎むべきだ」と(八月十六日・朝日社説)。

 何とも勝手な主張である。靖国神社が「戦争を正当化し、犠牲を納得させる役割」を担ったというのは朝日の一方的な歴史認識でしかない。自衛隊や公職者による一般的な参拝が政教分離に抵触することはなく、靖国神社が「我が国における戦没者追悼の中心的施設である」との昭和六十年の靖国懇の見解は今も政府方針とされている。

 毎日もこう書いている。「(自衛隊の)靖国の参拝には問題がある。戦前は軍国主義を支える国家神道の中核だった。一九七八年には、極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪になったA級戦犯が合祀された。……戦後日本は東京裁判を受け入れ、憲法が掲げる平和国家の理念を堅持してきた」(八月二十二日・社説)。

 これも杜撰で勝手な言い分である。日本は東京裁判の判決は受け入れたが、歴史観など裁判のすべてを受け入れたわけではない。

 国会は昭和二十八年に「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を全会一致で採択し、続いて援護法や恩給法を改正した。こうしてA級戦犯を含めた戦争裁判の刑死者の遺族にも遺族年金や弔意金が、受刑者と遺族にも恩給や扶助料が支給されることとなった。戦争裁判の刑死者は法的には「公務上の死亡者」と位置づけられ、A級戦犯は「国内法では犯罪人ではない」が政府見解となった。

 こうした経緯を(おそらく)知ったうえで「民主主義体制下で発足した自衛隊は、制度的に(旧軍と)断絶された組織だ。……防衛省・自衛隊で旧軍との連続性を意識するような動きが生じているとすれば、由々しき事態だ」(前出・毎日)と言うのは国会の意思決定を無視した主張と言える。

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 憲法などの法的条件は大きく違うが、自衛隊も旧陸海軍と同じ軍事組織、つまりは有事における戦闘を前提とした組織である。だからこそ自衛官は服務に当たって「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」と宣誓する。

 その点で自衛隊も旧軍とは軍事組織としての共通のDNAを持っていると言える。自衛隊が戦没英霊を慰霊し、その奮戦敢闘ぶりを学んで何も不思議はない。それを問題視することの方に自衛隊が有事を前提とした組織であることを否定したい政治的思惑があると言っても過言ではあるまい。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)

〈『明日への選択』令和6年9月号〉