本稿執筆の現在、注目の自民党総裁選はまだ終盤にあり、残念ながらその結果を見て書くことはできない。従って、本稿ではこれまで筆者がこの総裁選の中で、とりわけ感じたことを書かせていただく。
まず筆者にとり、最も関心があったのは、各候補者がこの日本の現状をどう捉えているか、ということであった。しかし、この関心に応えてくれた候補者は少なかった。個々の政策については、各候補者が掲げたものにはそれなりに興味を抱かせるものもあったが、一方その出発点となる現下日本への基本認識となると、どっしりとした「骨太なもの」を感じさせてくれるものが少なかったのである。
安倍元総理はその『回顧録』において、最初に総理となった時、自分は官房副長官と長官を合計四年務め、総理の何たるかはわかったつもりでいたが、「総理大臣となって見る景色」は、そうしたものとは、「まったく別だった」と述べている。それは総理にしか感じられない決断の「重さ」といったものでもあろうが、とすれば総理には、かかる決断の基となる単なる政策以前の認識や覚悟が求められるという話でもあろう。
例えば、世界の現状に対する認識だ。これほど複雑で困難な問題に直面することとなった時代は戦後かつてなかったといってよいが、その危機感を感じさせてくれる候補者が、高市氏の他、ほとんどなかったのである。例えば中国の脅威だ。台湾有事の「二〇二七年説」がいよいよ現実味を帯びるが、これをどう考えるか。三年の総裁任期を考えれば、新総裁がこれに直面する可能性は極めて高い。となれば、全政策の冒頭に、これに対する総理をめざす者としての独自の認識や覚悟が示されて当然と思うのだ。
マスコミの事前予測では相変わらず石破氏の人気が高いが、氏は今回「アジア版NATO構想」なるものを打ち出した。しかし、その実現可能性や構成国を問われた際、氏は何と「これから議論を詰めたい」と答えたのである。防衛の専門家を自称しつつ、実はこれについて何も具体的なことは考えてこなかった、という話だったのだ。
日本の現状に対する危機感ということでいえば、今年は日本人の出生数が七十万を割ることが確実視される。しかし、この少子化の現状に対する各候補の認識にも物足りなさを感じた。確かにどの候補もそれなりの危機感を語ってはいた。とはいえ、そこには「何としても自分がこの問題に答えを出す」という決意は感じられなかったからだ。今日の現状は、その程度の認識や決意では、もはや何ともならないギリギリの危機に立ち至っているにもかかわらず、だ。
一方、小泉氏は夫婦別姓問題に対し、「長年議論ばかりで、答えを出していない課題に決着をつけたい」と述べ、「一年以内の法案提出」をも明言した。しかし、それによる社会的影響をどの程度考えているか、それが見えなかった。夫婦別姓となれば、子供には親子別姓・家族別姓が強いられる。親には選択権があっても、子供にはそれはない。この不合理を、氏は家族のあり方としてどう考えるか。
と同時に、候補者たちの認識に、日本の「伝統の力」に言及したものが全くなかったことも問題だった。安倍元総理はまず「戦後レジームからの脱却」をいい、また「日本を取り戻す」といった。しかし、各候補が語ったのは、あくまでも無機的で、ニュートラルな、いわば精神なき改革論に過ぎなかった。しかし、このようなもので、果たして難題解決の「国民の力」が出てくるのだろうか。この点、高市氏は「祖国を守ってこられた方々への感謝」を明言していたが、これこそが国家の指導者に求められる認識であり、姿勢ではなかろうか。
結果は今後の日本を決める。良き結果を祈りたい。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)
〈『明日への選択』令和6年10月号〉