どういうことなのか、何を言いたいのか……。五月十五日の読売新聞朝刊が一面トップとさらに三面分の紙面を割いて、「女性宮家」の創設と女性皇族の配偶者とその子供も皇族にすると提言し、社説では女系天皇の可能性も排除しないとも主張した。
今、「安定的な皇位継承や皇族数確保」に関する与野党協議が大詰めを迎えている。静謐な環境での取りまとめが求められるなか、大新聞があえてキャンペーンを張ったわけで、そこには何かの意図ありと言わざるを得ない。
この与野党協議は政府が提出した有識者会議の報告書を土台として協議が行われてきたが、論点となった、①内親王・女王は婚姻後も皇族の身分を保持すること②皇統に属する男系男子を現在の宮家と養子縁組して皇族とすることの二点については自民、公明、維新、国民、参政などの八党会派が当初から賛成の意見表明をし、女性皇族の配偶者と子供についても、女系天皇の可能性を含むため皇族としないことで合意していた。
ただ立憲民主は党内に賛否があり、党の見解を出せなかった。しかし、野田佳彦代表と馬淵澄夫議員は「女性宮家」の創設にこだわり、女性皇族の配偶者と子供も皇族とすることを主張していた。
最新の四月十七日の各党協議でも馬淵議員は旧宮家から養子縁組を可能とする法改正をすれば「事実上の世襲貴族を作ることとなる」と反対した。だが、旧宮家は昭和二十二年十月に皇籍離脱まで現憲法施行後の五カ月間も皇族であり皇位継承権者であった事実を無視した主張でしかない。その意味で、立憲が「立法府の総意」の取りまとめを妨げてきたわけで、それを応援するような読売のキャンペーンには取りまとめを妨害する意図があるとも言える。
そもそも読売の立論には決定的な間違いがある。旧宮家の方々が戦後七十数年間は民間人だったことを強調して皇族復帰は国民の理解が得られないとする一方、皇室とまったく関係なく生活してきた人物が女性皇族の配偶者となったら皇族とすべきというのは論理矛盾でしかない。
社会部長が書いた「責任を持って結論を」との一面の論説は「女性皇族の離脱を食い止めなければ、国民の幸せを祈る祭祀や海外訪問を通じた国際親善を担う方もいなくなってしまう」というのだが、皇室祭祀は天皇陛下のお務めであり、女性皇族が関与するものではない。
さらに社説は「与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している」と書いているが、各党が賛成しているのは女性皇族が結婚後も皇族の身分を維持し公務を分担されることであって、いわゆる「女性宮家」ではない。
日本で最大部数の新聞の論説委員や編集幹部が皇室祭祀の基本的事実を知らず、各党協議についてかくも無知であることには呆れてしまう。
読売は「皇統の安定 現実策を」というが、その皇統とは何かを考えたことがあるのだろうか。
昭和天皇は「日本の皇室は昔から国民の信頼によって万世一系を保っていたのであります」「皇室もまた国民をわが子と考えられて、大事にされた。その代々の天皇の伝統的な思し召しというものが、今日をなしたと私は信じます」(昭和五十二年八月二十三日)と述べられたが、象徴天皇制度も万世一系つまりは男系継承の伝統によって支えられていると言える。
かつて反天皇の憲法学者・奥平康弘は女系天皇を巡って「『万世一系』から外れた制度を容認する施策は、いかなる『伝統的』根拠も持ち得ない」と言い、女系継承の容認は天皇制度の確固とした伝統を損ない、天皇制度は正統性を失うと指摘した。
男系継承を守るための取りまとめを進めてもらいたい。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)
〈『明日への選択』令和7年6月号〉