日本では八十回目の終戦の日を迎え、石破首相が戦没者追悼式で「反省」に言及した一方、中国は今年を「抗日戦争・世界ファシズム戦争勝利八〇年」の年と位置づけ、「反日」機運を盛り上げている。
「南京大虐殺」なるものを描いたという「南京写真館」という映画は夏休み映画最大のヒット作といい、新華社通信は「大きくなったら兵士になる」と泣きながら語る5歳の少女の動画を投稿しているほか(読売・8月10日)、SNSは日本を目の敵にした書き込みで溢れているという。
この映画は南京での虐殺、強姦、略奪などが映っているフィルムを暴虐の証拠として隠して守ろうとした中国人がいたというフィクションだが、南京の写真店の店員が16枚の写真を隠し持っていたという話が下敷きとなっている。この写真は戦後の戦犯裁判にも提出され、日本の資料集にも掲載されているが、写真自体は日本で検証がされ、その真実性はすべて否定されている(『南京事件「証拠写真」を検証する』など)。
例えば、何枚かある「首切り」写真に登場する多くの日本兵と称する人たちは半袖シャツで平均気温三度の南京の冬の情景ではない。写真は戦後に発見されたというが、同一背景の写真が南京戦直後にプロパガンダ写真として流布されていたことも分かっている。そもそも店員が草むらに捨てた写真を別の人物が拾って便所の壁に隠したという由来も信じがたい。
中国はこの写真を含めて世界記憶遺産に申請し、ユネスコが平成27年に記憶遺産に登録したことはさらに信じがたいことである。
* *
映画「南京写真館」は歪曲された事実を下敷きに「反日」を煽動しているが、中国共産党は歴史的事実そのものをねじ曲げている。
習近平主席は7月7日に山西省泉陽市を訪れ、「百団大戦」の犠牲者に献花した。習主席は「百団大戦は歴史的壮挙だ。抗日戦争における党の中核的役割を余すところなく示している」と述べたが、「抗日戦争」は共産党が戦って勝利した、だから共産党支配には正統性があるとアピールをしたわけである。
「百団大戦」とは昭和15年8月に山西省などで共産党軍が鉄道や道路、日本軍施設を攻撃した戦闘の中国側の呼び名で、共産党軍が日本軍と本格的に交戦した唯一の事例と言える。
言うまでもなく日本軍と戦ったのは蔣介石の国民党軍で、中国共産党はまったく「抗日」とは名ばかりの戦略をとっていた。支那事変が始まった直後の昭和12年8月に共産党は形だけの「抗日」を決議したが、同時に毛沢東は次のような秘密命令を出していた。
「70%は我が党の発展のために使い、20%は(国民党との)妥協のために使う。残りの10%だけを抗日戦争のために使う」(遠藤誉『毛沢東』などによる)
具体的には、第一線では国民党軍に戦わせて弱らせ、共産党はゲリラ戦だけをときどき戦い、それを宣伝して人民の心を共産側に引き寄せ、最終的に国民党から主導権をとるようにせよ、というのである。
その意味で「百団大戦」はそうした毛沢東の戦略に反して実施されたと言え、日本側は補給線などに損害を受けたが、共産党の人的損害も大きかった。毛沢東は命令に反したことで「百団大戦」を指揮した彭徳懐を叱責し、戦後の彭徳懐粛清の背景となっているとの解説もある。
* *
選挙で選ばれたことのない共産党はこれまで経済成長によって豊かになったことを共産党支配の正統性としてきたが、経済低迷の今日、正統性の理由を「抗日戦勝利」に求めようとして「戦後80年」を利用していると言えよう。
共産党による「抗日戦勝利」はまったくの虚構でしかない。こんなウソの上に建っている国家はいずれ破綻する。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)
〈『明日への選択』令和7年9月号〉